カウンセラーになりたくて

私は先日まで企業に就労中の精神障碍者の方々の定着支援を行っていました。

ですが、今はその職を辞し無職となっています。

この機に自身のこれまでを振り返ってみようと思い、ブログをはじめてみました。

これから少しづつ振り返って書き連ねていきたいと思っています。

皆さんの役に立つかどうかは分かりませんが、こういう道筋もあるんだなと思って頂ければ幸いです。

 

私は学生の頃からカウンセラーになる事を夢見てきました。

理由としては、人の助けになる事が自分の価値に繋がるという単純で打算的な思いからです。

その為に専門学校へ通い、精神保健福祉士という資格を取る為に精神科病棟へと就職しました。

 

まず驚いたのは匂いです。

精神科病棟全てに言える事ではないのかもしれませんが、私が入職した急性期病棟は薄い糞尿と薬品の匂いを混ぜたような匂いが漂っていました。

そこで初めて大人相手におむつをしたり、身体拘束をしたりという経験をし、

最初は強烈な便の匂いに吐いてしまったり、

他人の人権を奪うような行為に戸惑ったりしていました。

 

時が経つにつれそうした行為にも慣れ、ただ当たり前のこと様に日々を営む様になります。

そうした中で見えて来るのは急性期病棟から一般社会へ戻っていく人、つまり退院できる人はその中の3割にも満たないという現実でした。

大体の患者は同病院内の長期療養病棟等に転棟し、そのまま入院生活を続けて行きます。

勿論、中にはそこから退院される患者もいたのだと思いますが、私が見る中ではそうした人に出会った事はありません。

 

慢性期病棟へ異動し、病院内で自殺する人に出会いました。

患者同士での上下関係は根強く、中には同性同士でのSEXを強要している人に出会いました。

一時外出をし、病院へ戻る事を拒否した人を騙し騙し連れ帰った事もあります。

慢性期病棟という場所には、ただ日々を安静に過ごして頂く場なのだと思いますが、

社会から隔離し続ける場でしかないと感じました。

あそこにはそれこそ10年単位ずっと入院されてきた患者ばかりが居ます。

そうした人が急に社会に出るというのも難しい話です。

中には今の切符販売機で切符を購入する事すら戸惑う方もいました。

 

そうした方々が映画「ショーシャンクの空」に出て来た釈放された老人の姿が重なってしまい、彼らに社会生活を送らせていくのは無理があると思い、ここで働き続ける事が私には出来ないと考え退職する事を決めました。

自分に出来る事は無いと考えてしまったのです。

日々彼らと話し、今後の為に出来る事は何かを相談する機会というのは一切ありませんでした。当時は精神保健福祉法改正の過渡期で、いずれは退院促進を行っていかなければいけなくなるのだろうという事は分かっていたものの、それでもそれは無理な話だと思っていたのです。

出来る事と言っても同法人内にグループホームを作って退院先をそこへ移す位なのだろうと。

 

そして、それは事実でもありました。

 

であればと、グループホームから一般社会へと送り出す為には何をしなければいけないかを考え知るために、私は次の職場をそこに移しました。